記念日反応

「記念日反応」というものがあるけれど、私の場合、これらの日に反応が出やすい。

 

●母の命日(5月19日)+その前後数週間

●両親が結婚した日(8月12日)

●母の誕生日(10月20日

●私の誕生日(12月2日)

●両親が離婚した日(正確な日にちは不明だが12月だったと記憶している)

 

明日12月2日は私の誕生日。自分の誕生日になぜ記念日反応が出るのか。毎年誕生日前になると、母がその時どんな気持ちだったのだろう?と考えることが多いからかもしれない。

 

母は19歳で私を産んだ。いわゆるできちゃった婚で、両親共にまだ学生だった。まだ若かった母には夢があった。将来やりたいことがあった。たくさん悩んで迷って下した決断だったに違いない。それなのに、父があんな風だったから、不安だらけだっただろうな。色々と心細かっただろうな。祖母(母の母)は「無理に結婚しなくても良い。この子をみんなで育てましょう」と母に言ったようだけれど、母はそうしなかった。

 

私は、ずっと望まれて生まれてきた子供ではないのだと思っていた。父と母が不仲でうまくいかなった理由も私のせいなのではないだろうかと思っていた。でも、ただ単に二人の仲が良くなかっただけで、両親の不仲に私は関係ない。大人になればそれが分かるのだが、子供の頃の私は、「私が生まれてこなければ二人は結婚することもなかっただろうから、もっと幸せな人生を送っていたのかもしれない」と思っていた。

 

しかし、「望まれて生まれてきた子供ではない」という思いは大人になっても変わらなかった。この思いも私に生き辛さを感じさせる原因のひとつだったと思う。若い頃(特に20代~30代前半まで)は、「私って生きてる意味あるのかな?」とか「私は誰の役にも立てていない。むしろ色々な人に迷惑を掛けている」とか「もう消えたい」と思うことが多かった。

 

母が亡くなった後、「お腹が大きかった時のあなたのお母さんは本当に幸せそうだったよ」と母の友人が言っていた。それを聞いた時、涙がぼろぼろ出た。「私は望まれて生まれてきたわけじゃないから」、そんな風に思っていた自分が愚かで情けなかった。自分の人生をかけて私を産むことを決心した母に対して何てことを思っていたのだろう?そして母の人生そのものを否定していると受け取られてもおかしくないこの愚かで情けない考え方に陥っていた娘を母はどう見ていたのだろう?

 

ママ、今でもたまに「もう死にたい」と思うことがあります。

でも、死んだらいけないとも思っています。

前はね、いつ死んでも良いと思ってたんだけど、今は「死にたい」と思うことがあるくせに、「今死んだらダメだ」と思うこともあるんだよ。矛盾してるよね。人生に希望を持っている自分と絶望している自分がいる。それらがよく葛藤している。私の中には真逆の自分が存在している。これ以外にも自分を信じている自分と信じられない自分。自信を持っている自分と自己肯定感が低い自分。自分の中に色々な自分がいてしんどい。きっとみんな多かれ少なかれ自分の中の葛藤と闘っているんだろうけど。

 

「消えたい」「死にたい」なんて思ったらバチが当たるね。

せっかく授かった命なんだから。せっかくママが産んでくれたんだから。

私は、この授かった命を悔いなく存分に使い切らないとね。

 

また弱い自分が出てきた。

もっと強くて優しい人間になりたい。

 

大好きなママへ

産んでくれてありがとう。

グリーフケア

母の死と向き合おうと決めてから、グリーフケアについて調べてみた。

グリーフケアカウンセリング、グリーフケアワークショップ、グリーフケアに関する本、などなど。

 

「ワークショップに参加してみようかな」と思ったけれど、誰かに話すこと、誰かと分かち合うことの重要性は分かってはいるものの、「私、話せるかな・・・?」とか「他の人の話を聞いているうちに自分の経験と重なったり、色々なことを思い出したりして取り乱したりしないだろうか・・・」など色々なことを考えてしまい、結局、参加できないままでいる。私は、自分の意見を人に伝えることは割と出来る方なのだが、自分の気持ちや感情について話すのはとても苦手だ。あと、あまり話したくないというのもある。正直、「話したところで何になる?」と思ってしまう自分がいる。その反面、話すことによって自分の気持ちに整理がつくので良いことだというのは分かっている。けれど、頭で分かっているだけで気持ちでは分かっていない。なので、「人に話す」ということは、私にはなかなかハードルの高いことなのである。親しい人に話す方がかえって難しかったりする。重い話をされた側の気持ちを考えてしまうし、余計な心配をかけたくないなとも思ってしまう。なので、話すならよく知らない人の方が気が楽というのはある。だからワークショップと思ったのだが、それでもやっぱりなかなか参加する気になれない。いざ人に話すとなると、今の私では思考が停止するような気がする。思考だけでなく記憶も心もシャットダウンしてしまうような気がする。ワークショップに参加しても話したくないのなら話さなくても良いのかもしれない。他の人の話を聞くだけでも違うのかもしれない。けれど、他の人の話を聞いて、それが自分の経験とリンクして、その結果気持ちが重くなった時に、まだそれを対処できるだけの余力がない。子供の頃から人前で泣かない(泣けない)というのもワークショップに参加できないことに関係していると思う。子供の頃から他人に自分の感情を悟られたくないと思ってしまう。家族でさえも自分の根っこの部分を知られたくないと思ってしまう。なんでなんだろう?別に人に弱いところを見せたくないとか知られたくないとは思っていないのに。やっぱり相手が心配してしまうとかやばい人だと思われたくないとか、そんな風に思っているのかな。幼少期に何かこうなったきっかけがあったはず。これはまた別の機会に振り返ってみよう。

 

このような理由から今はまだワークショップに参加するのは難しいと思ったため、「グリーフケアって自分で出来ないのかな?」とグリーフケアについてもう一度調べてみることにした。とりあえず、本を1冊買ってみた。その中にあるワークはまだ全然実践していないのだけれど(汗)、ひとつだけやり始めたことがある。それはグリーフレターというもの。母が亡くなってから、私は母に語りかけたことがなかった。罪悪感からか、母に語りかけるのが怖かった。語りかけるのは怖いけど、手紙なら書けるかな?と思ったのだが、一向に進まない・・・。このままだと今自分がやりたいと思っていることを始めた時に何らかの支障が出てくるかもしれないので、どうしたら手紙を書けるのかな?と考えてみたところ、「ブログとかやってみたらいいんじゃない?」と思った。今までブログもSNSも興味がなく、全然やったことがなかった。自分のグリーフと向き合うのだから自分のパソコンやノートに残しておけば良いと思っていたのに、全く進まないというこの現実・・・。「投稿する」という行為が「向き合おう」という気にさせるのではないかと期待して、ブログを立ち上げてみた。一番の目的は自分と向き合うためなので、自分の記録用という位置付けで始めたけれど、もしかしたら自分の書いたものを誰かが読んでくれるかもしれない。自分が書いたものが誰かの役に立てたり、何らかのヒントやきっかけになったりしたら、それはとても嬉しいことだと思った。でも、もう読んでくれるだけでとってもとっても嬉しい!

 

実際の母宛の手紙は別のところで公開しているのだが、母に話していたような口調で母に話しているようなかんじで書いている。そうすると何だか本当に母と話しているような気がしてきて楽しくなってくる。しかし、母はもういないので悲しくもなる。書いているうちに涙が流れてくることもある。でも、私にはそれが良いのかもしれない。母が亡くなった後、悲しむ暇もなくバタバタしていたのと、母が自殺したという現実から逃げたくて、何も考えないように、ただただがむしゃらに働いていた。毎日忙しくしていると母のことを考えずに済んだ。母が亡くなって半年くらい経った頃、有給休暇を取り、「今日はのんびり過ごそう!」とお昼からお酒を飲みながらゆったりと過ごしていた。そしたら、急に涙がボロボロこぼれてきて、最後には大泣きしていた。母が亡くなってから、こんなに泣いたのは初めてだった。それまでは、涙が出てきても泣かないようにしていた。けれど、ある本で自分の感情に浸ることの大切さについて書かれていたことを思い出し、この時は自分の感情を一切コントロールせずに、自分の感情の赴くままに自分を解放した。

 

今でも自分の感情の赴くままに、というのは私には容易なことではない。だけど、私は今まで自分の感情を如何に蔑ろにして生きてきたかということをここ最近になって痛感するようになった。自分の感情に見向きもしない、自分の本当の心の声に耳を傾けようともしない、そういった私の行動が私自身を傷つけ、心身の状態をどんどん悪化させていったのだ。だから、心身ともに健康に生きていくために、また、今後の人生をより豊かにするためにも、もっと自分の気持ちを素直に受け止めて、自分にダメ出しばかりせずにポジティブな自分もネガティブな自分も受け入れて、もっと自分を労わって生きていけたらいいなと思っている。

 

母の死(自分のグリーフ)に向き合うこと、そして、自分自身に向き合うこと、これが今の私の課題である。これらが出来たら、私はまた一歩前進する。

グリーフ(悲嘆)と向き合う

2012年5月に母を自死で亡くしてから、どうやら私は母の死としっかり向き合えていなかったようだ。自分自身ともちゃんと向き合えていないくらいなのだから、母の死と向き合うまでの余裕はなかったのかもしれない。現に、自分の気持ちがそこまで追いついていないということも、割と最近になってからようやく分かったような気もする。

 

母の命日が近づく4月中旬頃から不安定になる。恐怖、悲しみ、苦しみ、怒り、後悔、自責の念、様々な感情が混ざる中、出来るだけ思い出さないように、考えないように、ずっと逃げてきた。毎日忙しく過ごしていると、思い出すことも考えることもあまりなかった。少しずつだが、命日が近づいても、年々これらの感情に侵されることなく、いつも通りの生活を送っていたので、「もう大丈夫になってきたんだ」と思っていたのだが、今年、久々に恐怖と深い悲しみが襲ってきて、少し動揺した。「大丈夫になってきている」というのはただの錯覚だったということに気が付かされた命日となった。

 

私は、亡くなった母に語りかけたことがない。語りかけるのが怖い、そして、母に何も出来なかった自分が母に語りかけて良いものなのだろうか、語りかける勇気が出ない。語りかけると母を思い出す。きっと悲しいことばかり思い出す。その時、自分はどうなってしまうのだろう。様々な思いが脳裏を駆け巡り、逃げて逃げて逃げまくって、でも逃げられない、逃げられるわけがない、逃げてはいけないんだ。苦しいけど、辛いけど、しっかり向き合おう、そうしないと本当の意味で次へ進めない、そう思った。

 

悲しい思い出ばかりではないのに、死に方が死に方なだけに楽しかったことなんて思い出したらいけないような気がしていた。死んだ今でも苦しいかもしれない。生きていた頃の苦しみから解放なんてされていないかもしれない。でも、私が母の死に向き合わないことも、もしかしたら母をもっと苦しめているのかもしれない。生前も苦しめて、死んでからも苦しめて、私は一体何をしているのだろう?

 

もう20年以上も疎遠になっている父が電子書籍を出していることをたまたま知った。どうでもいいような、少し気になるような。結局、どんな書籍なのか見てみることにした。特に読みたいと思うような作品はなかったが、ひとつだけ目に留まったものがあった。書籍の表紙が私達の住んでいた場所だったからだ。その表紙を見た瞬間、「まさか、私達(母や私)のことを書いているんじゃ・・・」と思い、本の概要を確認してみると、「自伝的青春小説」と書いてあったので、きっとそうだと思った。正直、父の書いた本にお金を払いたくないのだが、どうしても内容が気になる、確認しなければならないような気がした。父のことだから、きっと父自身のことを美しく真っ当な人間として描いているに違いない。そして、その予想は的中した。しかも想像以上にひどかった。あの人は変わっていない。そしてこれからも変わらないだろう。

 

それにしても母のことをものすごくひどく描いている。そして、彼自身のことは、案の定、美しく描いていて、しかも彼はその作品の中でもいつでも被害者なのだ。子供の私から見れば、父はどちらかと言うと加害者で、母を死に追いやった一人でもあるのだが、そんなことは父と生涯話す気はない。話したところで何にもならないことは明白だからだ。子供の頃から私は父のことを話が通じない人だと思っていた。だから、父の機嫌を損ねないようにいつも気を遣っていた。そして、気を遣っていることを父に悟られないように子供らしく無邪気に振舞うようにしていた。お互いにとって関わらないことが一番良いのだろうと考え、私は父と距離を置くことにした。というより、もう生涯会わないことにした。19歳の時だった。

 

もし父の再婚相手との関係があの小説で書かれている通りだったとしたら。私は、谷底に突き落とされたような衝撃を受けた。何と恐ろしい女性だ。改めて人間の恐ろしさを知ったような気がした。小説を読んだ後、色々なことが私の頭の中でリンクした。母が長年苦しめられていた本当の理由が分かったような気がした。「死人に口なし」、この書籍が出版されたタイミングもまた絶妙だ。父と母は共通の友人知人がいるため、きっと母が亡くなったことを噂で聞き、この書籍を出版するに至ったのだろう。

小説内の登場人物は全て仮名なのだが、なぜか私だけ実名で、しかも漢字までそのまま。あの小説は私に対する弁解なのか、私に対する執着から出来たものなのか、あるいは、父の新しい家庭に対して父とその再婚相手が如何に純愛だったのかを示すためのものなのか。いずれにせよ、私からすれば非常に不快な作品であることには変わりがないので、母方の祖母と叔母(母の妹)にはまだこの小説の存在は伏せたままである。

「怒りを通り越して呆れる」と言うけれど、それをさらに通り越しているような、何とも表現できないこの感覚。限りなく「無」に近いような、それでも実際は「無」ではなく、何らかのネガティブな感情はあるのは分かるけれど、それをうまく言語化できない、不思議な感情。「あの人は、本当に私の父親なのだろうか?」と思うことがあったが、あいにく容姿が似ているため、間違いなく私の父親だ。その事実が長年私を苦しめた。しかし、今はもう生物学的な父親というだけで、私とは関係のない人だと思えるようになった。本当の意味で父親の呪縛から解き放たれたのも、割と最近のことである。

 

もう母とは話せないので真相は闇の中だが、父と母の離婚に関しては、私はどちらの肩も持っていない。子供の私から見ればどちらも悪いし、始まりから終わりまで両者共に無責任な言動だらけだ。親だって未熟なのは分かっている。けれど、許容できるものとできないものがある。幼い頃から許容できないものも全て受け止めようと努力し過ぎて、もう疲れたのだ。経済的に自立するまで我慢して、誰の手も借りずに生きていけるようになったら家族とは距離を置こうと子供の頃から考えていたことを大人になって実行したまでなのだ。家族は私のことを「変わってしまった」とよく当時は言っていたが、私はただ気が付かれないように明るく振舞っていただけで、子供の頃から何も変わっていない。

 

私は、両親の言葉よりも行動を信じていた。父は口では綺麗なことばかり言うけれど、行動が伴っていない。母はたまにきつい言い方をして私を傷つけることはあったが、いつも私のことを考えてくれていたことは十分に伝わっていた。あれだけ母を大好きだったのだから、父がいくら作品の中で母を悪く描こうと私の心は決して揺らぐことはない。ただただ父への嫌悪感が増すだけで逆効果になるのだが、なぜあの作品を電子書籍という形で残したのか。ただ、私があの小説を読んだことによって、母が長年抱えていた苦しみが少しでも理解できたのなら、父のしたことにほんの少しは価値があるのかもしれないが。

 

何だかグリーフから逸れてしまった部分もあるけれど、大好きだったママ、これからはもっと思い出すよ。そして、もっとママに語りかけるよ。

 

母の死が無駄にならないように、私が私の子供にできること、それを考えながら今日も、そしてこれからも、今日という1日を大切に生きていこうと思います。

人はいつ死んでもおかしくないのだから。